南郷さんとしげる(13)の小話です。
*風邪をひいた南郷さん
--------------------
「南郷さん、いないの?」
いつもならこの時間、会社から帰ってきて一服してるはずだ。
そう思ってドアをたたいたものの、今日は返事がない。
…そういえば明日は日曜だ。
どこかで飲んでるのかもしれない。
そう思って踵を返そうとしたとき、ドアの向こうから小さく声が聞こえた。
と、ゆっくりとドアが開く。
「……ちょっと、どうしたの?風邪?」
南郷さんは赤い顔にマスクをして、毛布を体に巻き付け、玄関にもたれるように立っていた。
その格好はさながらミノムシのようだ。
しかし、その顔の赤みからかなり熱がありそうなことが見て取れた。
「…寝てなよ、氷は?ないの?」
「あ、アカギ、うつるといけないから。悪いが今日は帰れ、な?」
フラフラ後をついてくる南郷さんの言葉を無視して、ズンズン上がりこみ冷蔵庫の扉をあける。
ビールの缶とつまみの乾き物、少量の玉子、味噌…ろくなものが入っていない。
そこそこマメで自炊もする南郷さんは、いつもならもうちょっと食材を用意してる。
「…いつから寝込んでたの?買い物も、行けてないんでしょ」
「どうも一昨日から熱が下がらなくてなぁ、咳や頭痛はないのが救いなんだが…」
いかんせん、とにかく熱が下がらない。
そう言って、だるそうに布団にもぐりこむ。
「今日、なんか食ったの?」
「いや…水は飲んだが、作るのも億劫でな。
それよりアカギ、おまえ帰れ、ほんとにうつっちまうぞ」
熱のせいで寒気がするのか、耳まですっぽり布団をかぶってるくせにそんなことを言う。
俺の心配してる場合じゃないだろうに。
なんだか無性に腹がたって、冷蔵庫の扉を乱暴に閉めた。
「食欲はあるんだ?」
「あ、ああ、そう…だな。一応…」
俺の機嫌が急降下したことに戸惑っているのか、南郷さんは歯切れ悪く布団に顔を隠す。
「じゃあ、ちょっと待ってな。薬と、なんか食うもん買ってくるよ」
「いや、あ、アカギ、いいってそんな…!」
さっさと玄関に向かう俺に、慌てたような声が飛んでくる。
起き上がろうとする南郷さんをひと睨みして静止させる。
どうしてこんなに腹がたつんだろうか。
深く息を吐いて、とりあえず波立った心を落ち着かせる。
「…自分で食い物も調達できないくせになに言ってんの。
合理的に考えてみなよ。明日には治るって保障もないのに。
今ここで動けるのは俺で、まだ店も開いてる時間じゃない。
だったら今俺に甘えといたほうがいいんじゃないの?」
一息に言いくるめると、南郷さんは少し目を泳がせて迷った末、
じゃあ、たのむ。と肩をしょんぼりさせた。
そんな南郷さんを尻目に部屋をでると、陽は完全に沈んでいた。
薬局のシャッターがちょうど閉められようとしているところで店の人間に声をかけ、
ひとまず風邪薬と、栄養ドリンクをひとまとめ買った。
あとは食べ物だ。
ふと、年老いた老婆がもそもそと店仕舞いしているのが目に入る。
その奥に、よく熟れた白桃がある。
それは古びた店の中でやけにみずみずしく、浮いて見えた。
「…すみません、あの桃、いただきたいんですが」
老婆は「はいはい」と愛想よくうなずくと、おいくつ入り用?と顔をあげる。
と、一瞬目を丸くして動きを止める。
俺の白髪に驚いたのだろう、こういう反応には慣れている。
さっきの薬局のオヤジなど、あからさまに嫌な顔をして見せてきた。
あえてその反応を無視して、「あるだけ、全部ください」と言うと今度は別の意味で驚いたらしい。
「あと、そのバナナも…これは、1房」
すべて紙袋に入れてもらうと、けっこうな大荷物になった。
礼を言って、帰ろうと踵を返すと目の端に老婆が手を合わせて拝んでいるのが映った。
時々こんなふうにしてくる人間がいる。とりわけ年配の老人に多い。
そういう場合たぶん、この白髪は先の戦争での後遺症だと思われているのだ。
「南郷さん、薬。…ああ、でもなんか食ってからのほうがいいか」
帰ると、南郷さんはまた熱が上がったらしくひどく朦朧としてうなっていた。
「すまんなぁ、アカギ」
「…水分も採らないと、汗も出ないぜ。桃買ってきたんだ、食う?」
「ああ…いいなぁ、桃」
桃と聞いたとたんに笑顔を見せる南郷さんが子供みたいで、俺は思わず口の端があがる。
とりあえずひとつ剥いて、残りは冷蔵庫で冷やそう。
袋からひとつひとつ出していくうちに、買った覚えのない甘夏が2個出てきた。
「…あの婆さんか」
たまにある、「施し」ってやつだ。
こういうことも、もう慣れている。
大抵その場では何も言わず受け取るものの、口に入れることはない。
「どうした?アカギ…ああ、甘夏もあるのか」
水を飲みに起き上がった南郷さんが、背中から覗き込んできて甘夏に手を伸ばし、
鼻に近づけて甘酸っぱいにおいを嬉しそうに吸い込んでいる。
「…それ、八百屋の婆さんがおまけに入れてくれたんだ」
「南郷さん、甘夏好きなの?」
桃よりも甘夏を最初に手にとられたことがなんとなくおもしろくなくて、
もうひとつの甘夏を手で弄びながら、南郷さんの表情を横目で見る。
「え?いや、好きっていうか、懐かしいなと思って。
子供の頃、近所の農家で作っててな。
よくわけてもらって食ってたから…」
「…ふうん…」
「でも、今は桃が食いたいな」
てっきり、甘夏のほうを食べるんだと思っていたので、南郷さんの笑顔に少し面食らう。
「……甘夏じゃなくて?」
「ああ、アカギが買ってきてくれた桃だからな」
それに風邪の時は桃缶っていうだろ?と、笑いながら甘夏を俺の手に戻す。
買ってきたものを大体入れ終わると、スカスカだった冷蔵庫がいっぱいになった。
「…桃缶よりも、上等な桃だぜ南郷さん」
「ああ、だからきっと、食ったらすぐに治るだろうな」
「食ったら薬飲んで、寝ちまいなよ」
「ああ。お前は…?」
薄い皮を剥いた桃を美味しそうに食べる南郷さんの横に水と薬を置くと、
お前はどうするんだ、と言外に聞いてくる。
風邪がうつるといけないから帰ったほうがいいとか、
居てもらっても何もしてやれないし申し訳ないとか、
そんなことを考えてるのが手に取るようにわかる。
本当は居て欲しいと思ってることも。
「俺は帰るよ」
そう言うと、「…そうか、そうだな。今日はそうしたほうがいい」と
ホッとしたような寂しそうな顔をする。
本当に南郷さんはわかりやすい。
「今日はほんとにありがとうなアカギ。…あ、金は今度でいいか?また来るだろ?」
腹がくちて薬も効いてきたのか、南郷さんの瞼が今にもくっつきそうだ。
「うん、またそのうちに、気が向いたらね」
別に金なんかどうでもいいけど。
台所で手を洗いながら、ふと見るともう南郷さんは寝ていた。
寝息が少し穏やかになっている。
たぶん、大丈夫だろう。
なんとなく寝顔をぼんやりと見ていたら、さっきの甘夏の話を思い出した。
子供の頃、よく食ってたのか。
ふうん。
冷蔵庫からそっと甘夏をひとつ取り出すと、さっき南郷さんがしていたように鼻に近づける。
深く吸い込むと、柑橘の甘酸っぱい匂いがパッと鼻腔に広がって、霧散していった。
南郷さんの枕元に甘夏を置いて、自分も隣に座布団を敷いて横になる。
部屋の隅にあったシャツを掛け布団がわりにする。
――――明日、食ってみようかな。
首を少しひねって、枕もとの甘夏を見る。
誰かのために買い物をしたのは今日が初めてだった。
取り急ぎ必要に駆られてのことだったが、それは悪い気分はしなかった。
なんとなく、南郷さんが喜んでくれる顔が嬉しかったから。
ふと瞼の裏に、一瞬あの八百屋の老婆が浮かんで消えていった。
----------------
このブログ内では南郷さんがしげる(13)をこども扱いするのがデフォです。さらに、一緒に何か食べてたり食べさせてたり、食べ物に関わる話が多いかもしれません。絵も描いたりします。基本的におっさんとこどもしかいないブログです。
南郷さんはおかあさん。
しげるは、なんとなく南郷さんにだけはこども扱いされたくないこども。
傾向は、思春期しげる(13)→南郷さん。
たぶん恋愛未満のプラトニックです。
----------------
Powered by "Samurai Factory"